Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

清明 2020

 

清明 なんと美しい言葉でしょう。 その字面含めてこの時期のさわやかさをこれ以上に表した言葉は無いように思う。 桜が散るとすぐに新緑がやってきて 木の芽どきと言う言葉があるが 先祖がたぶんマレーシアの猿のじぶんとしてはこの時期なんともやるせない。 都会の街路樹の新緑が好きだなあ。 コンクリートだらけのビル街に淡い緑が映える。 電車に乗り 高架線から見える街のなかにほつほつと立ち上がっている新緑の木々も好きだ。 そしてもちろん雑木林の新緑はいつでも素晴らしい。

 

この時期列車の旅は良いなあ。 刻々と変わって行く車窓風景、水田、レンゲの咲いた畑、茶畑、新緑の山間を走る列車。 飽かずに車窓観察できる。出来る男はそういうことはしないだろうが おれは駄目だ。 新緑や花が気になって仕方がない。 なにせ元サルなのでそういうことなのだろう。 

 

この言葉を知ったのは ある仕事で鹿島に行ったとき。 月曜の朝一でお客に行かなければならず 日曜の遅い午後 東京駅から鹿島行きのバスに乗った。 休日の午後 下り車線を走る車は少なくて成田をすぎるともう道路はがらがらだった。 休日の午後に家を離れてゆくいつもと違う感覚。 夕方鹿島のホテルについて ホテル地下の居酒屋で酒を飲んだ。 日曜の夕方一人で酒を飲んでいる という いつもとちょっと違う感覚。 

 

そして翌朝 ホテルの部屋から見渡す田園風景、新緑の雑木林。 持ってきた俳諧歳時記(暗いなーおれ)を眺めていたらこの言葉に出会ったのだ。 そのことを 友人にメールしたら 

“早朝から鹿島で俳諧歳時記とは だいぶ老人力ついてきたな”  という返事をもらったのを覚えている。 日記をみたらこの日は 2006年の4/10だった。 

 

それにしても1年を24区切りにして それぞれに毎年やってくる その時期のシンボルというかrepresent する何かを見つけて愛でるという古人の感覚はすごいなと思う。 確かに日本では2週間+で季節は動いてゆくのだろうし たとえさほど動かなくても過行く時間の中で変わってゆくココロを実感するのだな。 もっと細かい72ナントカとかいうのもあるようだけど これはちょっと細かすぎる気がする。  四季のある所に生まれてよかった。 

ありがとう。 インシャラー。