曇り。今朝は昨日のゴルフの疲労感あり630まで寝ていた。8時過ぎ家でて事務所へ。ゴルフの日の翌朝の疲労感も嫌いではない。で仕事。18時過ぎ事務所出る。昔同時期にアジア駐在していた仲間との集まり。山口から参画のメンバもいる。近況アップデート。驚いたりうなずいたり。一人はシンガポール、インド、中国、サハリンと駐在していた。ご苦労である。自分も某4カ国に駐在していたが。インドやサハリンに比べれば楽だったのだなと思う。3時間ほどでお開きになり精算一人13000円でおどろく。 高い酒飲みすぎたか。まあたまにだからよいか 9時半ころ終了 再会を約束。雨の中歩いて駅まで行き22時前のバスで帰宅。
3/26と3/27
3/26(火) 雨 朝から暗い空。夜から気温も下がり雨も強くなるとのことだが明日のゴルフ大丈夫だろうか。。8時ころ家をでて事務所へ。で仕事。モチベーションを少し取り戻しそれなりに仕事。14時過ぎ出て雨の中帰宅 家で仕事する。明日は一月半ぶりのゴルフ1か月ぶりうれしいな。
3/27(水) 朝は快晴。520起き 620に迎えに来ていただき西へ。高速から見える山の風景がすばらしい。途中事故渋滞。練習する間もなく 朝一の Tee shotは右。その後もドライバはダメだった。敗北感あり。砲台グリーンの行ったり来たりが数回 まあこんなものか。アプローチ テークバックを意識したがショートが多かった。まあでも天気も良くゴルフ出来ただけでもよかったのだありがとうございます。前半後半とも3時間近くかかり15時前終了。その後墓参り。まあ墓参りできてよかったのだ。夕方の人気のない墓地 西日 少しだけ咲いた桜など。その後家まで送っていただき感謝。ありがとうございます。
3月25日 (月) バスの座席に関する行動原理
雨。月曜の朝の雨。非常にモチベーションも低い。雨の中を歩いて行く元気がなかったのでバスに乗ることにした。バスに乗るのも実に久しぶりである。
バスの座席といえば最近は進行方向に向かって列車のようなシートが設置されている。 前方は一人掛け 後方は二人掛けである。最後尾は進行方向を向いたロングシートのようなものになっている。
ふだん バスに乗るときはほとんど座らないのだがこの日は荷物が重く席も空いていたのでおれは最後方のロングシートの向かって右側の窓際の隣に座った。
ある停留所に近づくと 左の窓際にすわっている、つまり おれの左となりのオジサンが下りるそぶりを盛大に示したのでおれも準備をした。 おれの斜め前の二人掛けの席が空いていたので停留所に止まったら そこに移り オジサンが出やすいようにしようと思っていた。
さてバスは停留所につきおれは立って前の席に移り 通路をあけようとした。すると 同じ最後方のロングシートの右側の窓際の人が降りようとするではないか。しかたがないので おれは立ったままその人が降りるのを待った。ここで降りようとする左のオジサンをブロックしてしまう結果となった。さて 右の人がおりたので おれは 一つ前の二人掛けの席に移ろうとしたのだが 今度は何故かおれの前の左側の二人掛けの右側の席に座っていた人がそこへ移ろうとしたのでおれはそこで進路を断たれた。おれの左側のオジサンはたぶん業を煮やしてリュックを背負ったまま強引におれのよこをすり抜けていった。 大変不愉快そうな表情を浮かべて。おれはすみませんと謝ったが まあそりゃそうだ このヒトから見れば おれがなにをしようかわからず ただ通路に突っ立って ジャマしているだけのジジイだから。
まあたまに乗り物にのるのでこういう状況でのふるまいが分からず こういうことになるのかな。なんとなくがっかりした。よかれと思ったことだが逆の結果になった。家に帰ってこの話をしたら おれの 良かれと思ってはすべて良くないことになるからヤメロ ということだった。
今朝の安心
今朝見た夢。なぜかおれを含めた皆で劇かパフォーマンスのようなものを舞台の上で演ずることになっている。おそらく踊りを含んだ劇のようなもの。その “皆” とはどんな皆なのか、組織なのか分からない。とにかく俺はまったく練習などに参加していないか あるいは自分で習得する努力もしなかったので まるで何もすることはできない状況である。 一方 出番は刻刻と迫ってくるようだ。そばにいる同僚(なぜか会社の同僚のオヤジだ ごめんねカトちゃん)に わりーけど やり方教えてくれないか などと頼む一方で なんとかしてこの劇から逃げ出す算段はないものか などと考えている不届きモノの自分がいることに気づいている。 あるいは黙ってトンズラしても誰も文句言わないのではないか などと最後は考えているケシカラン男も見え隠れしているのである。
(余談ながら こうして夢の中の自分を俯瞰するもう一人の自分を意識する事 そしてさらにそれが夢ではないかと一段上の階層から見る体験 こんな 幽体離脱のニンゲンピラミッドようなものは臨死体験者の語りか何かで聞いた事があるような気がする。 子供の頃母親の三面鏡の前に座って眺めた無限に続く自分の顔の不思議とも似ているか。似ていないか。
しかしなぜ劇、舞台といった情景がでてくるのか分からない。 ワタシの人生や生業において 今までこのようなものと関わりを持ったことはないのだが。 で何故同僚のおっさんにヘルプを求めるのかもわからない。 ただしこのヒトはおれと異なり仕事をコツコツとこなす人だ。
…半分目が覚めてゆく中で これは夢なのだ おれは別にもう練習しなくてよいのだ 舞台に上がることもない。 こういう状況からは卒業したのだ もう何かをしなくてはならないが やっていない状況とは おさらばしたのだということに気が付き、そして何よりもこれは夢だったのだということに気が付いて 深い安堵の念に包まれたのである。
こんな夢を見るのはたぶん、やらなければならない仕事を長い間先延ばしして ついに期限がきた マズイどうしよう 何もやっていない 仕方がない やっつけ仕事でやる。 あるいは他人の大いなる助力をいただいてなんとか片づける。 それでも ドロナワ式におわらせる。 そんなことを繰り返して来た人生のせいか。 そういう中で感じてきた多くの不安や焦りが心のどこかに蓄積していて 時折それらが湧き上がってきてこういう不安を象徴するような夢を見るのだろうか。 情けない。 ご利用は計画的に おれには できません。