森鴎外の雁を読んだ。昔に何回も読んだような気がするがあらためて読み返してみた。
時代はまだ江戸時代の名残が残るころだろうか。
登場人物は語り手の僕、その僕の下宿している部屋の隣に住む帝大医学部生の岡田、高利貸の未造、その妻 お常、そして未造の妾になって無縁坂に住まわされているお玉。“僕” が岡田とお玉のすれ違いのような話を回想として語るような筋書きだ。とくに大きな事件が起きるわけでもなく 数か月の間の出来事を淡々と連ねる。しかし結果としては少し悲しい話でもある。当時の身分というか階級の区別や格差も明らかであり ついでに倫理観が今とは少し異なる時代。
妾になってしまったお玉は毎日散歩で家の前をあるく岡田に惹かれるようになる。一方の岡田も散歩の途中で無縁坂を通る時にはお玉のことを意識するようになり、しばらくすると帽子をとって軽くあいさつするようにもなる。 ある日岡田がいつものように通りかかるとお玉が未造に買ってもらった鳥かごの鳥が蛇に狙われているところに出くわす。それを見た岡田が蛇を退治するというようなことが起こる。それで二人は初めて言葉を交わす。しかしそれから何かが発展するということでもない。そしてある日未造が1-2日留守にすることをお玉に伝えるとお玉は未造の不在が岡田に近づく千載一遇のチャンスであると思い女中を里に返すなどしてその時に備える。 しかしいつもの岡田の散歩は 僕 のきらいなサバの味噌煮が下宿の夕飯に出たため岡田を誘って外出することになり、つまりいつも通りではなくなり、お玉は岡田に近づく機会を失ってしまう。その日はすでに洋行を決めていた岡田が 僕 にその話をしようと思っていた日でもあった。そしてその翌日岡田は下宿を引き払い洋行に向かうことになる。。 という。
小説全般の語り口は江戸弁のところは落語を聞いているような節もあって軽快なところもある。一方この時代独特のテニオハとか今とは異なるニュアンスで使われている言葉がったり 文章が長かったりで読みにくいところもある。それから興味深いというかユニークな表現も多くいちいちは書けないがたとえば二百十日のなしくずし なんていう言葉もでてくる。 ついでに女性の 何かをするときに “私はxxxしてよ“ という言い方がよいな。今であれは “xxするわ” ということだろうか。
そして題名の雁は岡田を誘って出た日 2人の共通の友人が不忍池の雁を捕らえるのを助け夜その雁で宴会をするということから来ている。 基本は悲しい話だ。それにしてもお玉はどういう結末というかゴールを頭に描いて岡田に近づこうとしたのか。お玉は岡田が去ったあとどうするのだろうかとか、妾を囲ったことでどんどん不仲になり家庭が暗くなってゆくことも書かれているがその後どうなるのだろうかとか小説ながら余韻が残る。 同時代の夏目漱石の三四郎も東大あたりが舞台でこちらも何かが成就するわけでもなく数か月の出来事が淡々と語られていて余韻が残る。
舞台は上野、本郷、あたり。まあ東大周辺の話だ。無縁坂の南側は岩崎の屋敷であったなんて書かれているのだが、地図で見ると確かにそうだ。 今度この舞台を歩いてみようかな。

晩秋の不忍池 小説では枯れた蓮の向こうにいる雁をとらえる
