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与太話アンド Assorted Love Songs

ソーリー と言ってはいけないの

前回どこかの外資コンサルタントと称する方の引用した言葉について書いた。 今度は 以下。 

 

“ついつい”Sorry”と言ってしまいがちな日本人ですが、特に交渉ごとの時に安易に謝らないことは非常に大切です。非を認めたと取られ、ネゴシエーションが不利になります“

 

これはすでにずっと昔から言われ続けてきたけれど 本当かな。 日本のメーカが品質問題などでアメリカで裁判か何かになったときに Sorry と言ってどうしたこうした という話を聞いたことがあるけれど それは裁判の話。 一方仕事の取引上で自社の製品などに関連して 何かのトラブルが起きてしまい 結果として相手方に迷惑をかけてしまった場合、瑕疵の誰彼を問わず相手の状況を思うのは当たり前であると思う。  Sorry と言いつつ問題解決してゆくことで相手から信頼してもらい、たとえ迷惑をかけても次の機会が与えられてゆくのではないか。 前回書いたように “アンタの問題は私の問題ではない (your rack of planning is not my emergency)” という態度では 少なくとも日本では受け入れられないし、 たぶんアジアでもダメだと思う。 少なくとも日本では 謝らない人間は嫌われる。 

 

100歩譲って たぶんこれは欧米の英語Nativeな人々とのことを書いているのだとする。 しかし世界中で英語Nativeな人は2割くらい、それ以外の8割の人々にとって英語は外国語である。 つまり自分たちの交渉相手も 英語Nativeな国だけではなくて 8割がた英語をガイコク語とする人たちであるということだ。

 

だけど 本当に英語Nativeな人に Sorry と言ってはいけないのかな。 “ あ、オマエ 今 Sorry と言ったな。 自分の非を認めたな” なんて底意地の悪い 揚げ足取りみたいなことをみんなするのだろうか。 そんな敵対的な関係で仕事が成り立っているのだろうか。  さらに言うと実際の契約には事細かくいろいろな条項が含まれていて、言った言わないというある意味非合理的な部分は極力排除されるだろうし、 なによりお互いにトラブルは解決したいのだ。

 

ついでに言うと このSorryと言ってはいけないは  ガイジン=客 日本人=業者 という視点(無言の前提)である。 交渉事はその逆もある。 この場合 客である自分がSorryといっても交渉事で不利になることはないだろう。 それで相手が高飛車に出てきたらそれは彼らの不利になるだけだ。 何かのトラブルが発生し、原因に関係する業者に対応を依頼した場合、相手がSorryと言わなかったら 不愉快になること間違いない。 日本では 謝らない人間は嫌われる。 だから日本人と仕事をしようとする人々は洋の東西を問わずそのあたりを理解していると思う。つまり彼らは ソーリーと言う。 だから今は最早 ソーリーと言ってはいけないなんて通じないと思うのだけれど。  

 

でこんなことを書いていたら 昔 国会で “ソーリー ソーリー” と連呼していた議員がいたことを思い出してしまった。 なんだか思い出して損した気分になりました。