Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

不快な広告について

ところでここのところとても不快な広告(写真)が頻繁にというか毎回どのサイトにアクセスしても現れるようになった。しかもそれは手を変え品を変え広告カイシャの名前は異なるようだがコンテンツはほぼ一緒である。ひどいときはそれが同一画面に複数同時に現れこうなるともう暴力に近い。すくなくともハラスメントではある。

過去そのような内容に興味をもったり関連サイトにアクセスしたことは記憶にあるかぎりないと思うが おれの訪問先 アクセス履歴などから年齢 興味などを推定してコイツならこういうコンテンツが当てはまるだろうというロジックに基づいたものなのかな。 

悪いことにいくらその広告を消しても( “この広告は表示しないようにします” なんていう殊勝なコメントはその時でるが) 残念ながらすぐに同じものがでてくる。さらにはふつう広告はx印などがついて消せるようになっているがそのx印もなく消すこともできないものもあるようだ。つまり選択の余地なし。気にしなければよいのだろうけれどここ数日つくづく嫌になってしまいネットにアクセスするのも嫌になった。

Googleの広告設定とか個人の情報(生年月日 他) ブラウザのセキュリティレベルなどいろいろいじってみたが変わらない。そもそもなんでこんな不快な写真を出すのか(これでアクセスする人間がいるのか) と思うがネットを見るとコンプレックス広告というカテゴリでありおそらく大半のヒトは不快を覚えるがネット閲覧者の数は膨大だから一部たとえば1000人とか10000人に一人でもアクセスして成約できればそれでよしというものらしい。

簡単にいうと大半の人を不快にしても一部のアクセスでもうかればよいという前提になっているということだ。それでよいのか。こういうものを考えるのはきっとマーケティングと称する仕事に属するのだろうけれど以前あった牛丼屋の一件を見てもこの仕事は客のことを客と見ていないというのか単なる金もうけの駒であるという視点にしか立っていないのではと思う。 (それも仕方がないと理解できるけど) 

で こんなことがあってネット上での検索とか使う言葉に気を使うようになってしまった。万が一おれがここで何かを口走りそれが数あるキーワードに該当するとああコイツはこれに興味があるのだなというようなロジックで対応する広告をいやおうなしに表示するのだろう。もとよりブラウザやブログなどつまり無料プラットフォームは広告が大きな収入の一つとして成り立っているのだろうから文句を言えた義理ではなく いやなら有料プラットフォームも用意されているのでそちらで金を払えばよいだけなのだが。 しまった有料なんていう言葉をここで書いてしまった。 さて明日からどんな広告がでるのか。広告制作の方へ もちろん届かないことは承知しているけれど お天道様は見ているぞ。ヒトに起きることはある日自分にも起きるということをわきまえて仕事をしてくれ。Someday comes