Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

君にお茶を運ばなくちゃ

妙齢の女性と午後の浜辺にいた。その女性が “お茶を飲みたい” という。そこでおれはお茶を売っている店をさがすべく歩き出した。しかし周りにそれらしき店はない。 浜辺には見当たらないので おれは浜から出てゆく一本の道を見つけてそこを歩いていった。しばらくすると道は浜辺を離れ、やがて道は両側を松で囲まれた 古い街道のようになった。その暗い茶色の泥の道をおれはとにかくひたすら歩いて ようやくかなたにお茶を売っているような店を2軒見つけた。

迷ったがそのうちの1軒の店に行くと、しかし 店の前には同じように何かを買いにきた子供たちがたくさんいて たいそうな行列である。なんだか つき がないなと思いつつも 行列の最後尾について、順番が来るのを待った。そしてずいぶんと時間がたったのち、ようやく自分用含めて二つのお茶を手にすることができた。

そして来た道を引き返したのだが 途中でのどが渇き、買ってきたお茶を まあいいだろうと思い、二つ両方から少しずつ飲んだ。そうして待たせては悪いと思い おれは走り出し、また さらにお茶を飲んだ。妙齢の女性がいる浜辺にはなかなかつかない。 走りながら “自分はなぜこんなことをしているのだろう どうせ間に合わないのに” といった思いが浮かぶ。 そんなことを繰り返しているうちに ふとカップを見るともうお茶は半分以上なくなっていた。

ずいぶんと長い時間がたったのち ようやく松の並木の街道が切れて、視界がひらけ浜辺のようなところにでた。もう夕陽もずいぶんと傾いていて、あたりに人気はなく、過ぎた時間の長さを思い、ああ こんな時間まで お茶を待っているわけないなと思い しかも カップを見ると もうお茶は2割くらいしか残っておらず なんだかとてもむなしく、悲しい気持ちなった。そこで目がさめた。 

ちなみに夢に出てきた 妙齢の女性は現職の有名な政治家だったような気がする。 もちろん知り合いでもないし、特別な感情も抱いていない。この夢をどう判断したらよいのだろうか。

 

ぼくが罪を忘れないうちに

吉本隆明ってボク、良く分からないけど、尊敬していました。今の若い方には、吉本ばななのお父様と言ったほうが良いかもしれませんね。ボクなんかよりも、もっと昔のいわゆる全共闘世代の知的シンボルだったような方。難解な思想、強面、辛辣な発言という印象がありますが、一方、その詩、特に若いころの物は、若さ特有の自負とか、少し感傷的で自虐的な気分とか、いろいろな箴言のようなものがちりばめられていて、今でも、時々読み返したくなります。どういう理由かわからないけれど急にまた読みたくなって本を開いた。余談だけど、この本一度新宿の飲み屋に忘れてきたことがあって、翌夕行ってみると、店にあって、感謝したことを覚えている。でもだいたい普段からこんな本を持ち歩くこと自体、暗いなー。

詩集のタイトルもたとえば、〝固有時との対話“ とか “転位のための十篇“ など、良く分からないけど、カッコいいですね。この詩集を出した出版社の解説には、(許可をいただいておりません)

“詩は、著者にとって、全業績中のまったく特異な事件である….”転位のための..” 発表時の著者は年齢にして二十代の終わりにあたり、東洋インキ在職中の技術者であったが、この詩集は当時、文学として形象化し得る極限の表現形式を成立させることになった。 ”転位のための十篇“は時代と個的精神史の対応から生まれた根源的運命的な詩として、詩そのものの本質的存在として、いつまでもナイーブな若い魂に問いかけるだろう。 “ 

って さっぱり分かりませんが、それにしても 個的精神史 なんて言葉もあるのだなあ。こういう解説を書いて、載せてしまうところが、またすごいなあと思います。でもってこの詩集の中には、今でも覚えているような一節がたくさんあるのです。 若いころ、臆面もなく、そんなところを引用していたのでしょうね。あー恥ずかしい。その部分だけ切り取っても、そのフレーズの意味合いや印象は分からないのですが、高校の階段教室の机に落書きで書かれていた、 “ぼくは秩序の敵であると同じに、きみたちの敵だ” 

なんていうのは、当時は、自分に突き付けられた言葉のように感じたものでした。吉本隆明の詩であることを知ったのはずいぶん後のことですが。 れから

  “もしも おれが死んだら世界は和解してくれ” 

なんていうのは酔っぱらってよく言っていた。 吉本隆明ファンの方申し訳ありません。ところで、上に書いた “ボクは秩序の敵であると同じに…..” の最後は以下で終わっています。

“刑罰が終わるところでぼくは眠る 破局の予兆がきっとぼくを起こしにくるから“  (その秋のために)

この方、こういった絶望感のようなものを最後に持ってきてすとんと 終わってしまうのが得意なようですね。 

“ひょっとすると 植物のやうな 廃疾が ぼくにとどめをさすかもしれない

ぼくが罪を忘れないうちに、 ぼくのすべてのたたかいは をはるかもしれない“(恋唄)

 

 

3月20日(水)

晴れ 春分の日休み。朝ブログ記事一個アップ でTV見て少しメール返信など仕事。他国は休日ではないのでそれなりにメールが入ってくる。午後予報通り雨が降ってきた。 16時ころは空が真っ暗になり雷までなる。これも天気急変という予報通り。なんだか失恋したようながっかりしたような気分がつづいている。FacebookでいくつかHappy Birthdayのメッセージ。ありがとうございます。アメリカ、シンガポール、日本 台湾などから。夜は回転寿司のテイクアウトと日本酒。

 

 

Fact sheet

さて文学作品や哲学書やいろいろなメモなどの解説やサマリだけ読んで実物は読まないで知ったかぶりをするのがおれである。世の中でこういう輩のことをインチキ野郎 とか 半可通という。 前置きが長くなってしまったが このブログのタイトルは last-mile deliveryである。これはパンデミックのさなか  “Quad” 日米豪印 パートナー会議なるものが開催されその議事録というかメモの中に“last-mile” deliveryという言葉が使われているがそこからとったものだ。実際には
cooperation on “last-mile” delivery for hard-to-reach communities in need 
という文章。 ここで言う “last-mile” というのは 最後まで (やりぬく)という意味なのだろう。それを必要としているが 手の届かない人々や困難のある人々にも ワクチンの供給をやりぬく(実際には他のサポートも)ということらしいが こういう 比喩 カタカナでいうとメタファーを使うことで印象深いメッセージになるなと思う。でもってこのメモは 実際には "FACT SHEET" という形で残っている。

FACT SHEET: QUAD SUMMIT

March 12, 2021 • Statements and Releases
The Quad Vaccine Partnership

翻って日本国では FACT SHEET はなく, 記憶にない とか 記録にない ということが多いようだ。 ひどいのは 捨ててしまった などということもあるようだし。

3月18日 (月) 

晴れ  風が強い。寒い 明け方3時ころ携帯で速報見ると-12 で起き出して5時ころまで見る。 -14 でいったん寝て6時半頃見ると-15 5位だ。すごい これだけで元気が出る。伊東のゴールにも力をもらった。ありがとうございます。朝ゴミだし。その後風が強いのでバケツが飛んではこまると思い回収直後にいつもおいてある場所にゆくとすでにごみは回収され回収の人がバケツを飛ばされないように風の当たらないところにおいておいてくれた。その仕事ぶりに感動する。

ところで 「優越的地位の濫用」に係るコスト上昇分の価格転嫁円滑化に関する調査の結果を踏まえた事業者名の公表

という記事を見た。 長いタイトルだなあ。以前の同様の調査で取引先の名前が載っていておどろく。まあ業者からすると海外との競争もあるし。客が受注してくれないと業者も困るということもある。と思う。

この日はAMは家で仕事。11時半前家出る。途中で昼飯を食いついでに時間があったのでちかくでケーキセット。この日はいつもの会合のあと学芸員の方が講師で情報交換会。なかなか面白かった。で17時前終わり帰宅 まだ風が強い。ところでなんだか失恋したような気分だけどこれはどこからきているのかな。

3/16,17 家の外に一歩もでなかった

3/16(土) 晴れ 今日は19℃くらいまであがるとか。起きてTV見て。ブログ書いてブログ用写真整理、記事少し書く。昼は残り物の納豆とご飯とみそ汁およびツナオムレツうまし。で午後もTVみたり。夕方いつもの精密風呂掃除。家の外に一歩もでなかった。
3/17(日) うすぐもり。朝 3時に起きてゴルフ見る。バカだなあ。でもこれが楽しみなのだ。430くらいまで見てボギーがでたので寝る。6時半前スコア速報見ると-9 でTVをつけるとちょうど17番のバーディーパット これを決めて-10となる。で朝飯を食いブログ記事を書く。明日から仕事。でも明日は午後はボランティア関連の会合。朝事務所行くかどうか。

 

今だけカネだけ自分だけ

ところで話は飛ぶがこの間山下洋輔トリオと筒井康孝の古い対談の本を眺めていたらそのなかで何かのおり学生運動の話になって当時(対談時の同時代)70年代全学連などの人々はまずは自己否定から入るというコメントがあった。自己否定って 当時の若いサヨクのヒトの一つの人生ガイドのようなものか。そういえば自己批判しろ- なんていう言葉もあったような。しかし自己否定とそれにつづく自己変革ばかりしているとなにもできなくなってしまう。こういうことを真顔で話していた時代。自分にだいぶ上の世代の話だがなんだか懐かしい。今は自己肯定の時代 さらに今だけカネだけ自分だけ という言葉もあるようだし時代は変わる。この言葉を聞くとなんだか某日本国の前々首相のイメージとぴったり重なるというかこのヒトが言ったらぴったりするなーとついつい思ってしまう。