こんにちは。メールをどうもありがとう。 そちらはもう夏も終わりですね。
ところで少し涼しくなってきたころの感じが好きです。夏はもう終わったけど、まだ完全に秋というほどではない季節。そういう頃の都会の街の感じが好きだなあ。 陽差しはまだ少し強いけど、夏のような勢いはすでに無い。木々の葉はまだ青々としている。 しかし木々を渡って吹いてくる風にはすこしだけ爽やかなものがある。すでに休暇のシーズンも終わっていて、街には普段通りの雰囲気が漂っている。 (モクセイの香りがただよってくるのはまだまだ先だ)そういう感じが好きです。
俳諧歳時記って読んだことありますか?別に俳句を作らなくてもこれは日本語の勉強になるし、なにより 季節の風物(動物、植物、天文、人事)を知ることができて、単純に読み物としても非常に興味深いです。特に古いバージョンのものは(たとえば昭和35年発行など)、忘れていたこと、子供の頃経験したこと、当時感じた季節のサインなどが書かれていて楽しいです。 それからところどころ はっとするような文章がちりばめられている。 たとえばこんな文章。
「古人は秋の来る趣きを ”秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる“ と言ったが、風音ばかりでなく 雲の光り、庭木の影、人語のさざめきのなかにも鋭敏に感じ取ることができる」
で いったい “人語のさざめき” のなかにどうやって秋を感ずることができるのだろうか とふと思いましたが、でもたとえば そういう頃の都会の街の感じが好きだ なんていうのは人語のさざめきのなかに季節の移ろいを感じることなのかな と思います。
当地ではまだ日中の最高気温は40℃以上になることがあります。 最低気温も多分30℃以上。 それでも、これが11-12月になると 20℃レベルまで下がるとのこと。 中東の地で、酷暑から涼しい季節に移ってゆくのを体験するのは初めてで、これから巡ってくる季節を待つのは楽しみではあります。 でもさすがに ”秋めく” っていうことはないだろうなあ。 回りは砂漠しかないし。 そういう季節の変わり目のサインを、一体なんて言うのかな。 まあこればかりは体験してみないと分からないです。
日本から船便で本類を送ったときに、まっさきに入れたのが俳諧歳時記。(暗いなー)でも季節感の乏しいこちらで、少しでも季節の移り変わりに思いをはせ、メリハリの利いた生活をしたいと思ったからです。 で一昨日 やっと船便が届きました。 早速取り出して、秋の歳時記を眺めていたら、ちょうど日本の今頃のこともたくさん書かれていました。 秋めく の 他には 立秋、初秋、今朝の秋 など 皆素晴らしいので以下引用します。
立秋 立秋はだいたい新暦の8月7,8日に当たるが、まだ暑い盛りである。 暑さにあえぎながら秋を迎えるのである。 しかしその頃になると、風の響き、雲の色にもどことなく初秋の気がちらりと感じられるようになって来る。 ただ風雲の趣のもではなく、日常起居のうちにも感じられるし、それを感じ取ることころに詩があるのである。
初秋 秋が来るというのは楽しいことである。 灼けつくような日々の暑さに喘ぎつつも蚊帳裾に通う夜風、 軒端に光る星影、籬に降る雨脚、さては大樹の並木の茂り合った葉陰に、ちらりと感ずる初秋の息吹には 蘇るような喜びを感ずる。 机辺の灯影にも新秋の気がひらめく。雨につけ、風につけ、初秋の趣はたのしい。
この2つを書いたのが同一の作者なのかどうか分からないけれど、季節の変わり目のサインをこれ以上できないくらいに、詩的に表現していますね。 むしろ自分の気持ちを投影しているような。 この感性と文書力を心より尊敬します。 ここでも “秋の気配を 日常起居のうちに感じてしまう ところを単純に尊敬してしまうし、また ” 机辺の灯影にも新秋の気がひらめく” なんていう表現も素晴らしいなあ と思うのは自分だけだろうか。 これだけ読んだら別に俳句読まなくてもよいやなんて。 ついでに ”蚊帳裾に通う夜風“ なんて、子供のころ、それを感じた事はあったのかな。
一方 夏の季語には ”夏を送る” という言葉もあって ”日中の暑さに変わりは無いが、夜になって少し涼しくなりほっとした時など 夏を送る気分がある。” との事。”夏を送るというよりは秋を迎える気分が強い”云々とか書いてあったな。 とても納得。 いずれにせよ季節が変わってゆくことを感ずる事ができるのはニッポンジンの喜びですね。
それから季節はすこしめぐって モクセイ(金木犀)好きだなあ。 秋のサインとでもいうのかな。 毎年9月の終わりから、10月のはじめ頃になると、東京の街はモクセイの香りに満ちてきますね。 どこにいても漂ってくる香り。 駅について胸いっぱい空気を吸い込むと どこからかこの香りが漂ってくる。夜寝ていてもふと、この香りを感じるのはこの季節の喜びでもあります。 何故自分がこの香りにそこまで惹かれるのか、よくわからないけれど、多分昔の思い出に結びついているのでしょうね。 学園祭の準備、フォークダンスとか、そんなことでしょうか。 いずれにせよ季節が変わってゆく数多くのサインの中でも、自分にとっては毎年めぐってくる楽しみでもあります。 残念ですが今年はそれを迎えることはできないのですが。
中国桂林地方ではではこのモクセイが街を満たしているとか。 機会があれば、花の季節に行ってみたいものです。 紹興酒でもこの香りのついたものがあるくらいだから、彼の地中国の方もこの香りが好きな方が多いのでしょうね。 一方この香りをトイレの芳香剤と同じだあ という輩も周りにいます。 そのほうが悩ましくなくて幸福かもしれませんね。
“よる年や 桜の咲くも こうるさき”
という 小林一茶 ですか の俳句もありますが、季節のサインなど気にしないのが一番かもしれません。
長くなってしまいました。 日本は台風が近づいて厳戒態勢のようだけど どうか被害がでませんように。
またメールしますね。 どうかお元気で。 ワンちゃんにもよろしく。 So Long.