Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

君とダバオでキラニアを。

さてビスリグ Bislig。 あまり知っている人はいないだろう。 最近仕事の関係で再びこの地名を見た時目を疑った。 埋もれていた思い出がよみがえってきた。

 

ビスリグはミンダナオ島の小さな街で 遠い昔、1990年代後半、ここで仕事があって何回か訪問したことを思い出す。もよりの空港は ダバオ。 ビスリグまで、ダバオから車で3時間くらいの道のりだったと思う。 ダバオの空港を出て市内を抜けるとまずは広大なバナナのプランテーションの間を通り過ぎる。(当時はチキータだったかな)やがて道はだんだんジャングルの中に入って行き、峠をいくつか越え、行き交う車も少なくなってくるころ、海に面した小さな街に到着する。 そこがビスリグだった。

 

この道 当時のイスラム反政府勢力によって何度も誘拐や殺害事件が起きており、昼間の移動しか許されていなかった。  

 

ビスリグでの思い出は、キラニア という料理。 生の魚(刺身ですね)を醤油とライム、チリでもって食べるもの。アジア各地での腹下し体験がトラウマになっていたし、南方の魚など身がぐずぐずで、しかも流通もハエ飛び交う市場経由と言うことを想像してはじめは敬遠していたが、接待していた客から、 これ食え と言われて恐る恐る食べてみると、これが予想に反してうまい。 不潔な感じもしないし何よりライムの酸味と辛みのバランスが絶妙である。 翌朝の事を心配しつつも食べ始めると これがビールに合って止まらなくなる。 幸い翌朝は何もなく、以降これは食えるという自信を持つようになった。

 

2回目以降は 食べても大丈夫だったという安心から好物に変わったと言っても良いかもしれない。夜 裸電球の下、屋外の屋台のようなところでこれを食いながらビール(サンミギュエル)を飲んでいると、ふいに周りの電灯が全部消えてあたりが真っ暗になることがあった。 すると突然やって来た暗闇のなかで、あたりの静けさに初めて気がつくのだ。  当時停電は当たり前のようなことで、しばらくすると店員がロウソクをもってやってくる。 少し暗くなったテーブルで夜風と静寂を感じながらキラニアとビールがさらに進むのだ。 これはミンダナオ島でしか食ったことはなかった。

 

もう一つの思い出。 当時田舎町ビスリグのそれでも街では一等とされるホテルに泊まったのだが、エアコンは部屋毎についているいわゆるウインドエアコンというヤツ。 音もうるさく、温調も良く働かない。 ある晩エアコンをつけて寝たのだが まるで働かず深夜汗だくになって起き出し、エアコンから出てくる風に手をかざしてみるとただの風だ。 たぶん冷房ではなく、送風になっていたのだろう。 暗闇のなか手探りでスイッチを切り替えると冷風がでてきて、 この時の喜びは今でも覚えている。

 

ミンダナオ島の玄関空港は ダバオ だ。 ここは City of Durian とかで バナナのプランテーションと共にドリアンの名産地だったようだ。 ダバオからマニラへ行くフライトはフィリピン航空=PAL。ジョークで Plane Always

Late とか Plane Already Leftなどと言われていた。 でもそんなに嫌いではなかった。 あるときダバオからマニラに行くフライトに乗ったとき 客室にもドリアンの香りが充満していた事を思い出す。おそらく貨物にドリアンを満載しているフライトだったのかもしれない。 

ところで調べてみたら当時自分たちが何度か訪問した客先工場は閉鎖されてしまったようだ。 そして今回もらった引き合いはその閉鎖された工場に関連しているものということを知った。 なんだか不思議な感じがする。しかしあの3時間の車の移動はもういいな。 ビスリグはともかく ダバオはもう一度訪ねてみたい。