Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

フォッサマグナが分かつ西と東

今でも列車が新大阪駅に着き、新大阪の駅のホームに降り立つと緊張感を感ずる。 あるいは伊丹空港について梅田までのバスチケットを買うあたりにゆくと 身構える。

この緊張感は つまり じぶんは東京モンにみられているのではないか、立ち振る舞いからもうすでにこいつはあっちの方のやつだと 見破られているのではないか などといったいらぬ思いから来ている。 別に関西で何か差別をされたり怖い思いをしたりいじめられたりしたということは皆無である(いや一度京都であった 河原町 20代のころ。 異性の友達をつれ良いカッコしようとした。 料理数品で1万円以上払った たぶん若造の自分が悪かったのだと思うが) なぜか身構えてしまうのだ。 

しかし梅田の地下の立ち飲み行ってみたい。できれば平日の昼間。 ある時大阪駅前のホテルに泊まった時受付のお姉さんに この近くで飲み屋街ありませんか と聞いたら お初天神横丁というのがありますというので そこまで歩いた。 確かに飲み屋街というか飲食店街ではあるがおれの求めているイメージからはちょっと違って少しキレイすぎる感じだった。 しばらく歩いてあたりで一番古くてキレイではなくてオッサンばかりいる飲み屋を見つけて入った。 背広を着ている人はあまりいなくて少し緊張したが そこで一杯確か250円の酒を3杯飲み 赤ウインナーなどを食い小一時間過ごしたのだった。 そもそも梅田ってなんのことか分からなかった。 梅田ってどこだ。 オオサカのことかだったらなんで大阪といわないのだとか。 

 

“高緯度な感じ” というものがじぶんにはある。 同時に ”南半球な感じ というのもある。 南半球にゆくと別に太陽が西から上って東に沈むということはないが なにか体内磁石が狂う感じがあるのだ。 ただの気のせいかもしれないが。 同様に “関西な感じ” というもある。 

 

一体関西 どこが境界なのかよくわからないが もしかすると フォッサマグナか。 昔は 60-50Hzの切り替えなんていうのもあったが、じぶんにとっては名古屋以西の感じだろうか。でも 名古屋では大阪で感ずるような緊張感はない。 しかし同じように関西あるいはそれ以西の人々にとって関東(以東)は “関東な感じ” とか “文化果つる” とか “都落ち” とか “納豆食いやがって” とか “まっ黒な汁のそば食いやがって” と言った感じがあるのだろうと想像する。 関西出身の友人はいつも “文明と天気は西から” と言っていたから。

 

新大阪の駅は悲しい思い出がいくつかある。 それから新大阪から神戸、姫路方面へゆく新快速からの風景がじぶんにとっては関西の原風景である。 いまでも時折関西に行きその風景を見ると 当時それを見て感じたときの悲しい気分がよみがえってくるような そんな追体験をするようだ。 迫ってくる山並みとそのふもとに広がる風景がそれだ。 神戸を過ぎて姫路あたりまでに広がる山の風景 そして左側の海 すべてがなぜかとても悲しく見えてしまうのは理由がある。 とおいむかし じぶんはその4月に入社した会社の新人研修でまず神戸に行き、そしてその後早春から初夏の北海道で3か月を過ごし そして7月になって姫路にやってきた。 今までいた牧場に囲まれた田舎町と打って変った都会の風景に心躍らせたのを覚えている。 ある時は 酔っぱらって 夜 姫路城のお堀で泳いだり、 下宿していた旅館の2階の窓から飛び降りて(今から思うとよくそんなことができたなと思うのだが)再び隣の部屋に這いずり上りあがって寝ていた同僚を驚かせたりしたのを覚えている。 その夏の姫路での3か月はあっという間に過ぎ去って そして夏も終わるころ北海道転勤の辞令をもらった。 半年間一緒に新人研修生活を共にした連中は それぞれ関西や東海方面に配属になった。 数年後ぼくはその会社を辞めた。

 

今までの人生の中で関西地区に滞在したのはその夏の3か月だけだ。 が その3か月の事は色濃く覚えている。 夏が近づいて来るとあの姫路での日々を時折思い出すことがある。 もちろんその前の肌寒い5月の連休 襟裳岬、帯広で飲んだくれたことも忘れない。 あの時君はどこで何をしていたのか。