Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

今朝の安心

今朝見た夢。なぜかおれを含めた皆で劇かパフォーマンスのようなものを舞台の上で演ずることになっている。おそらく踊りを含んだ劇のようなもの。その “皆” とはどんな皆なのか、組織なのか分からない。とにかく俺はまったく練習などに参加していないか あるいは自分で習得する努力もしなかったので まるで何もすることはできない状況である。 一方 出番は刻刻と迫ってくるようだ。そばにいる同僚(なぜか会社の同僚のオヤジだ ごめんねカトちゃん)に わりーけど やり方教えてくれないか などと頼む一方で なんとかしてこの劇から逃げ出す算段はないものか などと考えている不届きモノの自分がいることに気づいている。 あるいは黙ってトンズラしても誰も文句言わないのではないか などと最後は考えているケシカラン男も見え隠れしているのである。

(余談ながら こうして夢の中の自分を俯瞰するもう一人の自分を意識する事 そしてさらにそれが夢ではないかと一段上の階層から見る体験 こんな 幽体離脱のニンゲンピラミッドようなものは臨死体験者の語りか何かで聞いた事があるような気がする。 子供の頃母親の三面鏡の前に座って眺めた無限に続く自分の顔の不思議とも似ているか。似ていないか。

しかしなぜ劇、舞台といった情景がでてくるのか分からない。 ワタシの人生や生業において 今までこのようなものと関わりを持ったことはないのだが。 で何故同僚のおっさんにヘルプを求めるのかもわからない。 ただしこのヒトはおれと異なり仕事をコツコツとこなす人だ。

…半分目が覚めてゆく中で これは夢なのだ おれは別にもう練習しなくてよいのだ 舞台に上がることもない。 こういう状況からは卒業したのだ もう何かをしなくてはならないが やっていない状況とは おさらばしたのだということに気が付き、そして何よりもこれは夢だったのだということに気が付いて 深い安堵の念に包まれたのである。  

こんな夢を見るのはたぶん、やらなければならない仕事を長い間先延ばしして ついに期限がきた マズイどうしよう 何もやっていない 仕方がない やっつけ仕事でやる。 あるいは他人の大いなる助力をいただいてなんとか片づける。 それでも ドロナワ式におわらせる。 そんなことを繰り返して来た人生のせいか。 そういう中で感じてきた多くの不安や焦りが心のどこかに蓄積していて 時折それらが湧き上がってきてこういう不安を象徴するような夢を見るのだろうか。 情けない。  ご利用は計画的に おれには できません。