Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

君とクレオと横浜で

ブログを徘徊していたら急に横浜の事を思い出してしまった。 

その昔ジャズ喫茶なるものがあった。 それもいくつかの種類があって、普通の喫茶店のようにバックミュージック風に流しているものから、大きなスピーカを置いて、音楽のボリュームが大きくて、お客は皆、下を向いてストイックにジャズだけを聞きまくっているようなところもあった。 そこではおしゃべりなんぞしようものならすぐに冷たい視線が飛んできたな。 とても排他的な雰囲気。 ジャズを聴くこと、理解していることが一つのステータスというか知的シンボルだったような時代だったと思う。 今じゃそこらの居酒屋でもジャズを流しているけど。(実はこれが大キライだ。ついでにジャズを流している寿司屋とかそばやも嫌いだ。 ジャズは大好きだけど)

 

横浜にも有名なジャズ喫茶がいくつかあって 老舗では ちぐさ なんてあったな。 生意気なガキだった自分は(今でもガキだけど)ファースト なんていうジャズ喫茶にボトルを入れてたりしてたな。 1970年代後半 ボトルを入れて飲むというのが最高の贅沢の一つだったと思う。 まだ学生の分際で。 自分を殴りたくなるが これもまた自分だ。ネットで見たら まだちぐさも ファーストも健在だった。 もう行こうとは思わないけど。

 

それから当時 阪東橋近くに クレオ というロック喫茶があった。 かなりのオジサンというかおじいさんに近い方がご主人で何回か行くうちに挨拶してくださるようになった。 しかしある時火事になってしまい、学校を卒業してしばらくして訪れてみるとそこはさら地になっていた 事を覚えている。

 

携帯電話がない時分、西口の駅の伝言板が行き先を表示していた。 今思えば公共物を私用に使う違法行為だけど。 丘の上から望む夕日に霞む横浜の街。 酔っぱらって山下公園の前の海で泳いだ奴がいた。 西日の当たる階段教室。 黄葉したイチョウの間から教室に差し込む光。 イギリス館での追い出しコンパ。 それから消してしまいたい多数の思い出。 今思い出しても恥ずかしくて思わず声を出してしまいたいような数々の自分の愚行。 そして当時から続いている(と思われる)永遠に終わらないような駅の工事はいつ終わるのだろうか。