Last-mile Delivery

与太話アンド Assorted Love Songs

雨占い

朝方買い物のため 近くまで車を走らせた。 外は予報通り雨がふっている。 日曜の朝は車も少なく運転しながら目に入る曇天の下少し煙ったような冬枯れの風景をみながらなんとなくデジャブ感に浸った。 かつそのデジャブな感じには少しだけなにか感傷のようなものが含まれている。 それが何なのかはわからない。 

 

安倍公房のエッセイ に 雨占い というのがあったのを思い出して読み返してみた。 少し長いが引用してみる。

 

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 雨は空間をとじこめ、固定する。たえまなく変化する時間を「もの」に変える。ともすれば散漫に消え去りがちな外界の印象を、くっきりと内部に刻みつける。雨の音が一種の情緒をさそうのは、雨がそれに結びついた一連の過去の記憶をよびさますからにほかならない。雨の音に耳をすませ、なにやら不思議な気持ちにひたっているとき、あなたは半ば、過去のどこかに連れもどされているのである。(生理学的にいえば、雨の音を条件刺激にした条件反射)それはすでに、あなたの青春がすぎ去ったか、あるいはすぎ去りつつあることのしるしである。

 

 雨の音に一種のなつかしさとよろこびとを感じ、そのよろこびがたのしく感じられるなら、あなたは現状に満足しながら、しかし希望をもたない人である。雨の音に同じくなつかしさと同時にもの悲しさを感じているなら、あなたは希望を失い、ただ生活に疲れきっただけの人である。

 

 逆に、雨の音に悲しみのひびきを聞き、しかもその悲しみが甘く感じられるなら、あなたは相当に楽天的なめぐまれた人である。最後に、雨の音に悲しみのひびきを聞き、その悲しみがただひたすら悲哀と感じられるようなら、あなたは絶望しながら、しかも希望を失わない、いや失うことのできないのろわれた人である。

 

 以下略

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もちろん青春は遠い昔に過ぎ去っている。 上の分類にはどれもあてはまるような気もするしどれもあてはまらないようでもある。  まあこのエッセイの最後に書かれているように 一番よいのは雨の音など気にしないのが一番なのかな。