もうひとつ Kiasuに関連して。画像は最近友人が送ってきたもの。日本、マレーシア、シンガポールでの “ Can do attitude” の違い ということのようだ。 結構笑ってしまった。うまく訳せないけれど “できる” ということに対しての行動パターンの違い (というのかな)を 書いている。
まず日本人の “Can do attitude“ は
If one can do, もし誰かができるのであれば
I can do 自分もできる(はずだ)
If no one can do もし誰もできないなら
I must do 自分がやらなければならない
マレーシアンでは (“Bolleh”は マレーシア語で “Can”と同じ意味)
If one can do, もし誰かができるのであれば
Let him do 彼(彼女)にやってもらえばよい
If no one can do もし誰もできないなら
What can I do (一体)自分が何ができるのか
シンガポーリアンなら
If nobody do もし誰もやらないなら
I better not to do 自分もしないほうがよい
If everybody do もしみんながやっているなら
I DIE DIE must do 大変だ ! 自分もしなければ
日本人の部分はある意味日本人のステレオタイプの印象だと思う(少なくとも僕はちがう)。 マレーシア、シンガポールについては Kiasuな部分をある意味自虐のジョークとして書いている。そしてそういう自分たちの気質をきちんと理解してしかも(他者を含めて)受け入れているのだ。